【矢口先生シリーズ第1回】あなたは社長の「器」ですか。

栃木県よろず支援拠点 コーディネーター 矢口 季男


今回は、昨年度まで栃木県よろず支援拠点のチーフコーディネーターを務めておられた矢口先生に原稿を賜りました。シリーズの第一回目は「社長の器」についてお届けします。非常に興味深く、そして、厳しくも温かい内容になっておりますので、ご高覧ください。:栃木県よろず支援拠点 スタッフ一同


株式会社の原則の一つに「所有と経営の分離」があるが、このことは会社の持ち主と経営者(代表者)が一体でなく分離していることをいう。
株式会社の仕組みは、会社の規模が大きくなればなるほど、多くの人たちから資金を集め運営することになる。メリットとして資金の調達が不特定多数から集めることができるという利点が享受できる。同時に経営能力に優れた経営者を外部から招聘できる。大手企業になれば、会社経営に携わる者は、より専門的な知識や能力が必要になることから株主以外から選ばれるのが一般的である。

しかし、中小企業とりわけ小規模の会社はどうだろうか。
ほとんどの中小会社にみられるのが、社長あるいは家族や身内が社長役員を務めている。会社を同族で守り、他人の影響を避けようとする力が働くからであり、そのために同族で半数以上の株式を所有し、所有と経営を一体化している。ここに株式会社の原則から外れ、この制度が会社の成績悪化時に露呈し、より厳しい状態に陥ることも多い。

会社は「誰のものか」を考えると、法的には株を所有している株主のものである。したがって、中小規模の会社は株主=社長であるから、廃業しようと休業しようと社長の勝手であり、自由意思によることになる。
一方、「企業は社会の公器」であるといわれている。会社は従業員や取引先、あるいは社会全体に対し貢献していかねばならないという責任と義務があるが、中小企業の場合は社長がその公器という自覚がなければ公器とは言えない。

会社法では株主によって取締役が選任され、取締役会で代表たる社長が選任されることになる。よって、株式の半数以上を有している社長(あるいは身内)は、一度社長に就いたなら自らの意思以外で社長を解任されることがないのである。企業の存続や成長は社長の器、すなわち社長の考え方、資質、心構えなどで決定づけられるので、社長たる資質等がない者が社長に就いた場合は悲惨である。

経営に問題がある会社の原因を探求していくと、最後は必ずといっていいほど社長に突き当たる。社長を代えたいと思っても法的(会社法)には無理である。大企業であれば即刻、株主総会を開いて社長の責任を追及し解任するのが可能なのだが。

2005年5月に施行された「会社法」によって資本金1円でも設立できるようになった。さすがに1円の資本金の会社はほとんどないが、10万円、50万円、100万円程度の会社は数多く設立され、今後も多くの会社が設立されるであろう。
創業が増えていくことは喜ばしいことであるが、安易に法人化し結局は途中で廃業していく姿がみられる。社長たる資質等が備わっていない会社の乱立は社会全体の損失につながっていくものである。

中小企業の多くは株式の50%以上を身内が所有している。多くの理由は創業時に多くの株主を集める困難もあるが、他の者(他社)に乗っ取られないための防御策が働いていることの方が大きい。ある意味では正しいことはあるが、社長たる資質がないものがいつまでも居残る理由にもなっている。それだけに中小企業の社長の責任は重いことを肝に銘じなければならない。

私が相談に乗った多くの会社は小規模であり、自ら創業したものもあるが、多くは2代目、3代目である。生まれた時から社長になることを運命づけられた人たちがほとんどだった。だからではあるまいか、会社は自分のもので自社以外はあまり気にしないという自己中心の社長が多かった。

先代の時代は右肩上がりで需要が旺盛、「いけいけどんどん」の時代を経験している。その流れや社風をそのまま引き継いでいる会社が多かったが、後継者となった今の社長は、先代のやり方を踏襲していけばある程度の会社になり維持できるものと思っている方々があまりも多い。しかし、現実は違っていた。世の中の変化が速く、競争も激化、あげくは需要が縮小している。この時代に先代の考え方や社風で乗りきれるかどうかにつては、ほとんどの社長が気づいていない。気づいているとしても、どのように対応していくべきか、わからないのが現実である。

相当以前のことであるが、船井総研の船井幸雄先生が、経営にとって「(現代は)本物の時代を迎えた」と言っていた。まさに本物の経営が活かされる時代に入ったが、依然として旧態依然の経営を行っている会社が多い。いまこそ、会社は誰のものか、会社の目的は何か、会社はどうあるべきかが問われている。経験や理論ではない。会社そのもの存在価値が問われているのである。いわんや「会社は自分のもの」や社長の「好き勝手な経営」でこの時代を乗り切れるわけがない。

「人が生まれてきた」目的も「会社は何のために存在するのか」も同じことであり、そのことを明確かつ真摯に受け止める必要がある。そのうえで自社の方向性を示していかなければ会社の存在意義や存続そのものがない。すなわち、この世に出た以上、人間であれ会社であれ、社会や他人に役に立たなければ、存在している価値はないということである。

会社は一人では生存できない。従業員や取引先、そして会社を取り巻く社会全体、その中でも最も重要なのは「顧客」であり、当社は誰のために、何を通して(商品やサービスなど)、どのように役に立とうとしているのかが明確でなければならない。ゆえに、会社は「社長のもの」、「自分勝手に運営してもかまない」などと考えていては、社会からは抹消され存在価値のない会社になってしまうのである。

もう一度、自社を見つめ直してほしい。具体的に「私の会社が・・・、私の店が・・・、もし廃業したら誰が困るのかを考えてほしい」。ひょっとするとあなたの会社の存在価値や役割は終わったかもしれない。あなたの店や会社に代わって、もっと役に立つ競合店(会社)ができているのかもしれない。

意地や惰性での企業存続は無理である。特にコロナ禍で給付金や借り入れによる資金が潤沢になった会社の方、窮境状態の先送りではないのかを、もう一度見直してみてはどうだろうか。

よろず支援拠点の相談体験を踏まえて

第2回はこちらから→【矢口先生シリーズ第2回】なぜ、社長の責任は重いのか